幻想郷と、美味しいご飯。

  • 頒布:2016/05/08 コミックマーケット89
  • 装丁:新書サイズ/108ページ
  • イベント会場価格:1000円
  • 装画:もちぬ(あけのからす

  • outline

    おいしいごはんは、すきですか?
    秘封倶楽部、そして幻想郷に住まう少女たち。
    そんな彼女たちのごはんの時間を覗き見る、連作短編集。

    食の色々な側面に焦点をあてた、幸せな風景。
    朝・昼・夜。今日はどんなごはんをたべるのか。
    それは、読んでのお楽しみ。

    蓮メリ、レイマリ、ゆかゆゆ風味の短編でお届けします。


    空腹と空っぽの冷蔵庫

      朝、まどろみの中で気付いてしまった事実に愕然としたことはないだろうか。私、マエリベリー・ハーンは、今この瞬間、まさにその状態だった。
     ぼんやりとした頭で、昨日友人が返してきた『前回の調査結果』と称した長い文章を読みながら、私は気付いてしまったことがあったのだ。
     連日のレポート提出。時には校内に残って調べ物をする日もあった。学生としては当然の毎日だけれども、つまるところ、とんでもなく忙しかった。
     それに加え、大学非公認サークルの活動も活発だった結果、私の帰宅は日付が変わった頃になることがそれなりに多い。スーパーに寄れないほどに。
     つまり、どういうことか。
    「今日の朝ごはんが、もしかしなくとも、冷蔵庫に全くないわね?」
     事実に気付いた途端、タイミング良く、ぐうとお腹が鳴いた。外でこんな音がしたら恥ずかしくてしょうがないくらいの、豪快な音が。
     学校に遅くまでいるのも、倶楽部活動が深夜に渡り、夜に帰るのも構わない。でも、現実的に考えて近くのスーパーは二十時で閉まるし、コンビニで毎日食事を買うのは現実的ではない。
     幅広い食料が合成で作られるようになっても、空中の何もないところからぽこぽことごはんが湧き出てくるわけではないのだ。残念なことに。
     魔法使いではない私は、ちゃんと材料ないし出来合いのものを買ってこなければならない。
     耐えられる程度の空腹なのが、またタチが悪い。
     手元の携帯端末を弄っても、ごはんは出てこない。怠惰を極めて出前を取るにしても、今は朝だ。
     まだ、近くの出前は受付時間にすらなっていないだろう。いっそ二度寝してしまおうか、とも思う。
    「さすがに、それはだめよね」
     室内の時計は、八時を少し回ったところだ。
     昨日も遅かったわりには、早起き出来たことに私は驚く。昨日は夜遅くまで出歩いており、帰ってきたのは夜の二時過ぎだった。
     一緒に過ごした相手は、さきほど『前回の調査結果』を送ってきた子、宇佐見蓮子。
    ――結界の向こうの世界は、実地調査から考えるにこちらとさほど変わらないと予想されるわ。それについてメリーはどう思う?
     メリー。仲の良い彼女は、私の名前を「呼びにくい」「そんなまどろっこしい響きはいや」「舌を噛む」とか理由をつけて、私のことを本名の「マエリベリー」ではなく「メリー」と呼ぶのだ。
    ――私は気温も今と同じくらいに思えたわ。
     彼女に手早く返信をし、携帯端末をポケットに入れ、私はもぞもぞとベッドから起き上がった。
     住人が中々帰ってこない家の空気は、どうにもこもっている。私は勢い良くカーテンと窓を開けた。世間も大型連休とやらで休みになっているからか、普段よりも静かな町の気配とともに風が部屋の中に優しく滑り込んでくる。
     朝方はまだ、少しだけ涼しい。
     昨日の予報では、朝の気温は十五度。起きたばかりの薄手の寝間着では肌寒いが、目を覚ますにはちょうどいい気温だった。
     日中は夏日になることが多くても、まだ若干着る服にも頭を悩ます。
     五月頭の今は、そんな時期だ。
     部屋の空気を入れ替えるために、台所へ向かい換気扇を動かすためにボタンを押した。小さな音と共に、室内の空気が動き出す。
     空気が循環しはじめたのか、しばらくすると、どこからか近くの家のごはんの気配が香ってきた。
    「ふふ。おなか、空いちゃいそうだわ」
     昨夜のシチューでも温めているのだろうか。柔らかいクリームの香りが、部屋に侵入してくる。専門店で食べるようなシチューの香りではなく、家で作るようなルーを割り溶かして作るタイプの、どこか懐かしいものだった。
     一人暮らしでは作りにくいから、シチューなんてしばらく食べていないことに私は気付く。外で食べようとすると、おいしいシチューというやつは結構にいい値段がするのだ。
     毎夜出歩いては、そのたびに喫茶店で散財している身だとはいえ、誰かと食べる食事と、ひとりで食べる食事では掛けたい金額がまるで違う。蓮子と出かけるときは、めいっぱい楽しみたいからお財布の中身だって不安がないようにしていく。
     でも、一人で過ごす時の朝昼晩に毎回四桁を使っていては学生生活は成り立たない。
     楽しくもつらいやりくり生活をしてこその、学生生活……とは思いたくないが、この生活はそれなりに気に入っている。
     高くておいしいもの。
     安くておいしいもの。
     色々な食べ物があるなかで、身の丈にあったおいしいものを食べるのは、とても楽しい。
     私は念の為に冷蔵庫の扉に手を掛けることにした。何かあれば、簡単にごはんを作ることも出来る。
    「……」
     一人暮らし用の(確か百リットル程度の)小さい二段の冷蔵庫。冷凍室には、作ってからどれくらい経ったか記憶に無い氷と、冷凍春巻き。冷蔵室にはエネルギーを十秒でチャージできるゼリー飲料がそっと恨みがましい様子で転がっていた。
     冷蔵庫をそっと閉めた。ぶーん、と機械が唸る音が、部屋の中に寂しく響いていく。
    「そうね、そういうこともあるわ」
     私は、何も見なかったことにした。