真夏の夜と、彼女たちの恋。

  • 頒布:2016/08/13 コミックマーケット90
  • 装丁:新書サイズ/104ページ
  • イベント会場価格:1000円
  • 書店委託:メロンブックス

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ある真夏の夜、秘封倶楽部で起こった出来事。
それを知るのは彼女たちだけで、徹頭徹尾は彼女たちだけの事柄のはずだった。
少なくとも、私はそう信じていたのだった。

夏に訪れる、ちょっとしたはじまりとおわり。
ラブなのかライクなのか、何が真実なのか。
2人の夏が、今日もいつも通りにはじまっていく。


今にも涙を落としそうな、曇天の日だった。
灰色に染まる、もこもことした夏らしい雲を一面に広げていた空も、夜に近づくにつれその色を闇に浸食されていた。いつ豪雨が来てもおかしくない。
私、宇佐見蓮子は肩掛け鞄の中に折りたたみ傘があることを確認してから、家を出ることにした。
今日は、もともとは秘封倶楽部の活動がある日だった。秘封倶楽部というのは、私と同級生のマエリベリー・ハーンで作った、非公式の倶楽部活動だ。
私と彼女による自称霊能者サークルは、周りからは喫茶店でだべるだけの不良サークルだと思われているフシがあるが、実のところ、それは全く違う。
なんと! 秘封倶楽部は、この世界の結界を暴くオカルトサークルなのだ!
結界暴きは禁止されている行為だから、私は他人に「あんた、いつも遊んでばっかりいるじゃない」と指摘されても笑って誤魔化しているのだけれど。
ちょっとしたきっかけで知り合ったマエリベリー・ハーン(彼女の名前はひどくいいにくいから、私は彼女のことを大体『メリー』と呼ぶ)は、これまた奇妙な眼を持っていて、彼女は結界の境目が見える。だからこそ、二人で結界暴きなんて危ないことが出来ているのだった。
さすがに私一人では、結界の仔細はわからない。ネットにたくさんある、オカルト情報を駆使していわゆる『出る場所』を調べたって、私には決定的に結界に対する眼がないのだ。
メリーが持つような奇妙な能力は、自称霊能者サークルを率いる私にだってあるが、それだって、星を見て時間がわかり、月を見ると場所がわかる程度のものだ。自分の能力を過小評価するわけではないが、結界を探すときには、正直、あまり役には立たない。つまるところ、秘封倶楽部は二人で活動してこそのサークルだ。
それなのに。
夕暮れの街で、今日も私は一人で過ごしていた。
私は空に向けていた空想的視線を、現実に戻す。携帯端末ばかりを見て歩いている街で、私は正面をまっすぐ見て、歩き出す。空模様がいまいちだからか、街ゆく人々は傘を手にしている割合が多い。
傘を持ち、端末を片手に歩く不注意な輩をすり抜けるようにして、私は自宅近くの商店街へと向かう。
特に用事があるわけではない。ただ、今日の夕飯の材料はほとんどなかったし、一昨日発売された、注文してある雑誌を本屋に取りに行くという名目もあった。それに、どうも一人で過ごすのが嫌だったということもある。
夏休みが近い今、先日行われた試験への対応もあり、連絡を取ってもメリーとの予定は随分あわない。
お互い比較的優秀な生徒だから、追試験を食らう愚行は犯さなかったが、二人が多忙なのは確かだ。
それでも去年はもっと二人で色々な場所に行ったのに、と私は思ってしまうのだ。
うだる暑さに、校内の空調。夏に振り回される日々にはメリーがおらず、学生生活の時が重なるたびに遊ぶ時間が減っていくことを否が応でも実感させられた。まだモラトリアムだというのに。
明滅する街灯の下に設置された誘蛾灯が、頭の上でジッと音を立てた。青に炙られた虫が背後に落ちた気がするが、後ろは振り向かない。
夕飯時に近づき、人いきれでむわりとした商店街はたくさんの人で賑わっている。
世界が情報的に進化して、どんどんと死んでいく街もあるが、幸い、私が暮らしているこの地域は、人や物流の流れが目に見える。珍しくなった実店舗の本屋もあるし、巡り合わせが良いと天然の品物が並ぶ八百屋もある。当然、私には手の届かないような値段ではあるのだが。
歩きながら、店頭を眺めた。学校と家の行き来ばかりで、ずっと一人で過ごしていると、どうにも出来合いの食事ばかりになってしまう。そろそろ自炊をするべきかと思いながら、商店街をぐるぐると目的もなくふらついていると、ふと聞き覚えのある声がした。
「ねえ、あそこの店はどうかしら」
いつも、隣で聞く声。
マエリベリー・ハーンの声だった。
思わず、間近の文具店の軒先に入る。
隠れるつもりではなかったが、どうしてか体がそう動いてしまった。生活範囲が近いから、会うのは当然だ。しかし、その周りには複数人の男女がいた。
その中でも数人のメリーに忘れ物を届けに行ったときに、確か見た覚えがある。恐らくゼミで一緒のメンバーなのだろう。声が聞こえた方向を見やると、背の高い男子に囲まれた金髪の少女が見える。
やっぱりメリーだった。
しかし、視界に入った彼女の姿は秘封倶楽部の活動をする時に着ているような服ではなく、まるで『普通の大学生』だった。白いふわりとした半袖で、首元がレースになって大きく開いたシフォン生地の服。灰色に小さな花が散ったスカートが、夕風にあおられて、ふわりと広がる。
二人で会うときはあまり意識していなかったが、メリーは、とても、可愛い。
秘封倶楽部の活動をするときは、二人で制服のようにコーディネート縛りをしている。だから私は白いシャツに黒いスカート、メリーは紫基調のワンピースだ。
それに加え、私は黒の帽子を被り、メリーはどこで買ったのかわからないドアノブみたいな帽子だから、あまり普段は実感しないけれど、彼女は女性としてとても可愛いのだ。
ああ、メリーに「そのドアノブカバー、どこで買ったの」と聞いたら「これは『モブキャップ』っていうのよ! 十八世紀頃に流行ったものでねぇ」とたいそう反論されたことを思い出す。一体メリーは今が何世紀だと思っているのやら。
当然、家から出てきた私も秘封倶楽部の活動の時とは違う恰好で、普通のパンツルックだ。
つまり、今この場にいる彼女と私は『秘封倶楽部』ではない。ただの宇佐見蓮子と、ただのマエリベリー・ハーンが街で偶然邂逅しただけだ。
それなのに、私はどうにも胸の中でふつりと浮かび上がった気持ちを消せずにいた。濃い灰色の空。泡立つような不穏な雲。それを写しとってしまったような感情のせいで、私は彼女に声を掛けられずにいた。知り合いがいたら、普通はさらりと挨拶くらい出来るはずなのに。
「さっき話してたけどマエリベリーさんはさ、」
彼女の隣にいる、もっさりとした茶髪の男がメリーを呼ぶ。それに反応するようにメリーが私がいるほうを向く。私のことはちょうど人並で隠れているだろうが、ブロンドがふんわりと彼女の動きに合わせて揺れるのは、こちらに見えた。ここからでは表情までは見えない。
「だーめ。あれは外でする話じゃないわ」
メリーの声が鮮明に脳に響く。
カクテルパーティ効果だ、と思った。
ざわつく街の中で、それぞれが勝手なことばかり喋っている。私は意識して耳を傾けているわけではないのに、メリーの声だけははっきりと聞こえてくる。脳が勝手に彼女の位置や周波数を判断して、メリーの情報だけを私のために再構築してくれる。
勝手な作用だった。
ありがたくもあり、迷惑でもある。
出来れば、聞きたい会話ではなかった。
「なんだよ~。じゃあ、カラオケでならいい?」
男の手がメリーの腰元に回るのが見えた。もしくは手に触れようとするのが。私の瞼がぴくりと動く。
それを躱すように、踊るように、メリーが数歩ステップを踏んだ。まるで後ろにでも目があるみたいな動きを、彼女は時々するのだ。今こうして見ている私が見えていないと良い、と心から思う。そもそもこそこそする理由はないはずなのに。