RM21:夢見の庭の少女たち

RM21:夢見の庭の少女たち

箱庭を望んだ少女たちを見守る、物語。


outline

箱庭の中身は何でしょう。
森の奥深く、サナトリウムに住まう少女レンコは、ある日友人の不在に気付く。しかし、彼女の存在を誰もが忘れていて――。


 最寄りの駅から駆け足で目的地まで辿り着き、財布に大切にしまい込んでいたチケットをまさぐる。

 会場前は、待ち合わせ相手を探す人々の群れでごった返していて、私は人並みをくぐり抜けるように、入口へと到着することができた。

 スーツ姿の女性が四人、横に並んでいる。胸に期待を秘め、人々の手から、チケットの半券をもぎっていく。ミシン目に合わせて軽く折っておいたから、きっと私の紙は切り取りやすかっただろう。

 私はこの瞬間が好きだ。このチケットを手にしてから、前日の準備に、当日の朝の食事。ここに来るまでに彼女たちに会うことを実感するタイミングは何度もあったが、やはりこの瞬間が一番、実感する。

 ここを過ぎれば、あとは会場に入ったあとに物販へ並び、パンフレットが入った袋の重みを感じつつ、座席へと座ることになるのだが、そこまで来ると舞台上に立つ人間でもないのにどうにも緊張してしまって、実感どころではなくなってしまうのだ。

 今日の座席は、いわゆる神席だった。

 私は、誰のファンでもあり、誰のファンでもない。誰でも大好き、DDと呼ばれるのかもしれないが、物語を演じ、舞台上に存在する誰しもを好んでいる。だから、極端なことをいえば舞台が見えさえすれば、どんなに彼女たちに遠くとも嬉しいのだが、今回は特別だ。

 一番前のど真ん中。それが、今日の私の座席だった。

 まだ、私が座ったときには会場の中に人がほとんど入ってきておらず、どうにも不安を覚えてしまったのも束の間、人々の熱気とざわめきに振り返ってみれば、開演五分前に鳴る通称「1ベル」が空気を鳴らすときには、会場はほぼ満席だった。私は安心する。

 この場所に足を運び、この数時間のために金を費やす。

 それができる人間たちの興味の先が何であれ、そのおかげで彼女たちはこうして舞台に立てる。

 ファンだから。かわいいから。友人だから。あるいは、よこしまな感情ゆえに。

 理由は何だっていい。そう、そんなものは各個人の自由だ。

 生身の人間が、たった数時間のために生涯の大切な時間を使い、その結果を見せる。そんなことが一般市民に分け与えられることこそ、まず奇跡的なのだ。おそらくは、宗教的な儀式や人間が持つ模倣への憧れが発端で、いまやここまで発展した演じるという行為をこうして見られることに、私は幸福を覚えていた。

 ざわめきは、1ベルを経てどんどんと大きくなっていく。

 慌てて駆け込んできた女性が、私の隣へと座った。軽く汗ばんでいる彼女は物販で買ってきただろうパンフレットをビニールが掛かったままじっと眺めたあと、ぎゅっと抱きしめる。もう中身を読んでいる時間は当然ない。だから、何かしらの思いを託したのだろう。

 あの子が頑張れますように。あの子たちが輝けますように。

 もしそうならば、私と同じだ。

 私はこの日を心待ちにしていた。見始めてしまえばあとは終わるだけ。彼女たちの一瞬の輝きには、たとえ幸福が重なって映像になるとしても、その時その場にいる人間たちしか感じ得ない、何かがあると思う。

 その一瞬のために、私はここにいる。

 おそらくは、隣の彼女も、後ろに座っている彼女も、こうして私を見ているあなたも。

 全世界の誰しもが見られるものとは異なる、少数の「誰か」だけが手にすることができる物語とは、なんて贅沢なのだろう。私が幸せのため息を漏らしていると、ふと、目の前の真っ赤な緞帳が揺れた。

 この幕を一枚隔てたところには、もう、彼女たちがいるのだろう。

 普段はただ床が貼られただけの場所には、おそらくは物語に即した舞台装置が設置され、彼女たちは息を潜めて幕が上がるのを待っている。京都西陣のつづれ織りの技術で編まれた、沈んだ赤い幕を見つめていると、ついに本ベルが鳴った。それは、開演直前の合図だ。

 私を含め、周りの人間が手持ちの端末の電源を切り、鞄にしまった。乾いた会場への配慮か、誰かが飴を口に放り込んだのだろう、近くからは甘いハーブの香りがする。会場の下部に満ちた演出用のスモークとそれが混ざり合い、なんとも不思議な香りがした。

 はじまるね、と近くで声がする。期待と、ちょっとの不安を乗せた声。複数人で来た彼女たちの囁きを聞きながら、一人で来た私はそっと目を閉じる。

 間もなく灯りが落ち、目の前が開けるだろう。

 ほんの数時間、彼女たちはその生命を燃やして、創られた世界で駆け抜ける。

 息を吸い、吐き出した。張り詰めた空気がとたんに際立つと、会場が暗くなる。

 演出の都合上、非常灯すら落とされた暗闇。漆黒を拒絶した目は、しだいに暗がりの視界を受け入れ、私たちは闇の中に世界を見ることができる。

 そこには少女が一人だけ、逆光を浴びながら、私たちに背を向けて床に座っていた。

 少しウェーブがかった金髪に、ふくらはぎまである白のロングワンピース。衣装にはべルトやレースでわずかに黒の意匠が施されているが、まさに純白に包まれた少女だった。

 誰もの視線が彼女に釘付けになると、それを察してか彼女がゆるりと立ち上がった。

 直立した彼女の白いブーツが、舞台の床を鳴らす。

 かつり、かつり、かつり。

 遠景に見えるのは、古びてはいるがきれいに整った白い建物を模した絵と、張り出した根が豊かな樹木たち。会場の誰もが口を閉ざした静けさに聞こえ始めたのは、鳥のさえずりだ。

 どうやら、彼女が歩む道は穏やかな森だった。

 物語は、月明かりに満ちた森の中から始まるらしい。

 最初の立ち位置から三歩ほど前に歩んだ彼女が振り返り、すっと顔をあげた。伏し目がちな姿勢で、今はその表情にも色はついていない。きれいにカールした金の睫毛に縁取られ、彼女の金色の瞳が見える。

 まるでスフィレライトみたいな、黄色の宝石。

 ゆらりと視線が遠くに投げかけられたかと思えば、その閉じられた唇がわずかに開かれ、言葉が漏れる。

「……さようなら、レンコ」

 ——————そうして、舞台が始まる。